社員募集の告知をしましたところ、多くの方の応募いただきました。
郊外の小さな会社に興味を持ち、面接にきていただくだけでありがたいことです。
魅力的な方がたくさんあって、まだ選考の途中ですが、きっといい仲間として一定数の方達には入社いただけると思います。
今回の募集~応募~面接・・・を通じて感じたのは、“字”や表現についてのこと。
エクセルやワードなどのソフトを使いこなすのがベーシックとなった今の時代、履歴書をタイピングで記入するメリットは、無い!(応募する方は楽でしょうけれど)
それより紙の履歴書に内容をペンで書いたものは、そこに書かれている字や文章から受け取る、その人の印象があります。
きちんとした字や優しさが感じられる字だと、いつまでも気持ちよく、その字を見ていられます。
“字”は英語に訳すと“Character”というのも面白い。
まだ色んなデータをデジタルにする前の時代に、その当時、属していた事務の者が書いた住所録を見る機会があると、ついその字を眺めて、自分も同じような字を書いてみたい、と真似てみます。
(普段は、殴り書きで自分の字はあまり好きではないので)
文章もそうですが、“字”そのものにも見ている人に伝わる印象のようなものがあると思います。
さて、今日は敬老の日。
祝日でも部活動がある中学生の子ども達は、お弁当を持って学校へ。
数日前に、妻や僕の親宛(つまり子ども達からするとおじいちゃん・おばあちゃん)に手紙を書くよう言っておいたら昨晩、ようやっと書き上げ、今日、たまたま事務所に来ていた母に渡しました。
果たして書かれた内容は知りませんが、そう涙もろくはない母が手紙を読んだあと 「1億円もらうより嬉しい」と少し涙ぐんでおりましたので、まあまあ真っ当なことが書いてあったのでしょう。
デジタルなメールやメッセージは便利ですが、紙に書いた手紙のほうが渡したり貰った時に嬉しい・・・と思うのは古い考えでしょうかねぇ。
夜12時も近くなった頃、娘が困ったような顔をして僕のところへやってきた。
学校で、自分ばかり損な役を引き受けているんだ、という類いの事例をいくつか話してくる。
どれも容易に想像できるものだし、社会の中で日常的に起こる現象ばかりだけど、中3の娘は、それに戸惑っているようでした。
本人にとっては、いたってパーソナルで小さな(?)悩みなんでしょう・・・けれど、自分の過去の体験談や社会的な規範と市場原理のことの事例を話したりして、だんだん税金とか人権のことなどに話が及んで面白い。
(ウチでは子どもが小学高学年になると、人間は平等だけれども社会には不条理なこともある、と一貫して教えているので、それは充分に理解しているよう)
親の立場としては、子ども達が困っていれば助けてあげたいと思うのが自然ですし、それはそんなに難しくはないことなのですが、簡単に手を差し伸べたりはしません。
話はたっぷり時間をとって、いくらでもしますが。
若いうちに色んな失敗をしたり、人前で恥をかいたり、社会の理不尽なことを知って逞しく成長してほしいと願うのです。
今日、9月8日は二十四節気の白露。
秋が深まり、草花に朝露がつきはじめる頃です。
今朝は自転車で通勤しましたが、少~しキンモクセイの香を感じました。
(車での通勤だと屋外の匂いって、判りにくいんですよね)
いよいよ気持ちのいい季節の到来。
スポーツ・読書・芸術・・・などこの季節の楽しみ方も色々。
個人的には、食欲の秋!ですね~。
建物の着工前に地鎮祭を行うケースは少なくありません。
カネザワで請け負わせていただいた家づくりで地鎮祭を行う場合、そこに必ず私も出席します。
参加していて実感するのは、施主様家族の家づくりに対する想いが伝わってきて、私達もいい家をつくりあげよう、という想いが高まります。
今日は、伊勢崎市内での地鎮祭。
朝から雨模様でしたが、テントやブルーシート、竹をとったりして建築予定地につく頃には雨も上がっていました。
厳かに執り行われた地鎮祭。
これから始まる着工に向けて、一層 気が引き締まります。
施主様、本日はおめでとうございました!